第一部
かつて世界は闇に覆われた。
生きるもの全てを飲み込み、その命を奪うそれは、【バベル】と呼ばれた。
夢想都市と呼ばれた世界で最も美しく豊かに栄えた街、アトランティカの地の底から突如湧き起こったそれは、またたく間にアトランティカを飲み込み、周りの海を全て黒に染め上げていった。
その闇に触れた者は等しく、異形へと姿を変え、言葉さえも失い化け物のように甲高い声で鳴いたという。
バベルはヘドロのようであり、霧のようであり、霧雨のようでもあった。
その雨に打たれた者の皮膚は溶け、焼けただれたという。
その霧に包まれた者は気管をやられ、呼吸も能ず眼球を飛びださせもだえ苦しんだ。
空中に拡散するそれは、空をも黒い灰で包み込み、天に住まう命をも奪っていく。
逃げ場などどこにもなかった。
人々は世界の終わりを知った。もはやなす術などない。
これは神の所業だと、誰もが理解した。
【バベル】の真実を知っていた者など、地上、否、アトランティカに住まう一部の者のみであった。そして彼らはその真実を語る間もないまま死を迎える。
全て人間が絶望した頃、バベルの暴走はぴたりと止んだ。
【バベル】を【閉じた】のは、たった一人の少年だった。
少年は天に住まう【鳥】と呼ばれる種族の出で、見たこともないほどに美しかった。
人々は、彼と比べ、己がどれだけ不細工にできているかを思い知った。
バベルなど起こらずとも、彼らは少年の美しさに叶いなどしない。
少年は英雄と崇められた。少年を生み出した【鳥】の一族は、殿上人、【アルクメネ】と讃えられるようになり、やがて世界の支配階級となって行った。
かつての地上人は【ウィルド】と呼ばれ、金字塔状に身分階級が形成されるようになる。
ウィルドの中でも上位の者は、天上に上ることを許され、アルクメネとして出世した。
アルクメネの役割は即ち、【天啓グリーグの意思を世に伝えること】である。
グリーグとは、かつて世界をバベルから救った少年の名であった。
やがてグリーグもその天命を終え、アルクメネは符号化された【グリーグ】より意思を賜るようになった。
符号化されたそれは、厳密にはグリーグ自身とは言えないが、それでも人々を導く素晴らしい知恵を携えていた。
しかしアルクメネは気づいていた。
グリーグその人が死んでからというもの、世界に異変が起きている。
グリーグによってもたらされた均衡は崩れていた。
なぜなら世界各地で、【異形の化け物】が見られるようになっていたのだ―
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